「てんご(悪さ)ばっかりしてると、吉田山の鬼が来るで」 昭和生まれの京都っ子は、だいたいがこの脅し文句を聞いて育っている。 我が子は平成生まれだが、保育園で古典的な昔話の読み聞かせを子守唄に育ったせいか、この脅し文句は結構効いた。「吉田山の…」と言い出した辺りで、夫が椅子の裏をコンコンと始める。瞬時に息子の顔は引きつり、半べそをかきながら「ごめんなさ~い」と、訳もわからずとにかく謝り出す。ところが、あまりに使いすぎたせいか、小学校入学前あたりから、効果が薄れ出した。「そんなもん、いぃひんわ」と虚勢を張るようになったのである。「これは本物を見せとかんと」と決意。タイミング良く、もうすぐ節分だ。 2月2日。まず義父のお墓参り、に行くと見せかける。義父の墓は吉田山の東側、神楽岡にあるから都合が良い。墓苑からは大文字が目の当たり。大の字にうっすら雪が積もっていて白く浮かび上がっている。足元から深々と冷えが。さすがは1年で一番寒い時期の京都だ。 墓参の後、神楽岡通りを挟んで西側にある、カフェ&茶室「茂庵 」の看板を頼りに吉田山への石段や坂を上る。途中、葉っぱや木の実を拾いながら、石に腰掛けてお茶やおやつを食べながら。長男にはあくまでお散歩と思わせておく。寒さは厳しいが、子どもは風の子。日ごろ多忙な親が遊んでくれるならと、何の疑問も抱いていないようだった。 日暮れ前に、吉田神社の境内に到着。普通の人は京大南側の参道から上がってくるので、私たちは逆行するような形になる。そばの老舗「河道屋 」のテントで年越しそばを食べて腹ごしらえしてから、参道の両側を埋め尽くす屋台を覗き、さらに買い食い。半端なく寒くなってくる頃、メインイベント「追儺式 」が始まる寸法だ。篝火 が焚き上げられる幻想的な雰囲気の中、雄叫びを上げて鬼が現れる。明らかに着ぐるみで、昼間なら長男にもバレバレだっただろうが、そこはお祭りムード満点の夜目のうち。身動きできない人混みの中、夫に肩車をされ逃げることもできず、引きつった息子の顔が明々と照らされている。鬼も怖いが、鬼を追い払う善人役の方相氏 の金色に光る四つ目は更に怖いようで、泣くこともできず固まっている。私は可笑しさをこらえつつ、神妙な顔で、 「鬼さん怖いなぁ、あんなん家に来はったらどうする?」 「絶対にイヤや!!」 「ほんなら、ええ子にしとかんとなぁ」 ブンブンブン、首が折れんばかりに頷いている。効果覿面 。よしよし、では帰ろうと、ふとショルダーバッグを見ると、口が全開し、財布がなくなっていた。人混みにスリがいたのだ! 注意喚起の看板があちこちにあったのに、私としたことが…と慌てて境内に出張している警察官詰め所に駆け込む。 「財布、盗まれました!」 「ああ、特徴は?」 「黒い皮の長財布」 「これ?」 「え?」 掏られたのではなく、落としていたとは…。お参りに来られた善男善女のどなたかが拾って届けてくださり、しかも謝礼も辞退して帰られたのだとか。 財布の中身を事細かく説明して自分の物であることを証明させられるわ、書類は書かされるわ、夫には怒られるわ。シュン太郎の私に、長男が一言。 「そういう人は鬼さんに怒ってもらわんとなぁ」 まさにその通り。 その彼も今や中学生。脅す手段は、鬼ではなく、「今月の小遣いなし!」の一言である。 因みに、関西の節分に欠かせないのが、巻き寿司の丸かぶり「恵方巻 」だ。起源の諸説は様々あるが、戦後一時廃れていたものを、1970年代後半に大阪の海苔問屋組合がイベントを行い関西一円に広めたとか。そういえば、小学生高学年ごろ、うちの母も 「今日は節分やから、このお寿司を丸ごと一本食べるんやで。食べ終わるまで、口きいたらあかんで」 と、急にイベントに乗っかり出した。私たちは「いきなり何やねん」と思いつつも、日ごろは行儀悪いと怒られる所業を大っぴらに行えるとあって、目を白黒させながら巻き寿司にかぶりついた。さすがは新しモン好きの京都人。流行には敏感なのだ。以来、毎年2月3日の食卓は恵方巻と鰯の炊いたん。さて、今年の恵方はどの方角かな。
京都市中京区の白生地問屋に、三人姉妹の次女として誕 生。同志社大学在学中からミニコミの編集に携わって以降、 雑誌のライターや書籍の執筆を行っている。寒い季節の我が 家の定番は鍋料理。流行のトマトものやカレー鍋ももちろん レパートリーに加え、毎晩とっかえひっかえ鍋を楽しんでいる。
京都市東山区在住の漫画家兼イラストレーター。小林明子の 少女時代を描いた漫画『せやし だし巻 京そだち』(140B刊) には、少しだけ「母親の小林明子」を登場させている。最近の仕 事では『女性会計士20人 人生の中間決算書』(日本公認会計 士協会近畿会編)に、クスッとさせる線画のイラストを描いた。
