森下仁丹ヒストリー 「エピソード2」仁丹ケースよもやま話

粒が小さい仁丹の携帯に、ケースは必須です。「仁丹」と「ケース」は一心同体。 時代を映し続けた仁丹ケースの逸話をご紹介。

今では作れない初代ケース

創売当時のケースと復興ケース

仁丹が発売された明治38年に、初代ケースが生まれました。 森下仁丹では、発売100年を迎えた2005年に初代ケースの復刻版を企画したのですが、現代の機械では当時のケースを再現することはできませんでした。さらに、職人の手作業で当時のケースを忠実に再現すると1個あたり数万円の費用がかかることが判明し、やむなく、再現は表面デザインなどにとどまり、曲線部などのフォルム再現は諦めざるを得ませんでした。 当時の職人技術がいかに高かったか、これには100年の時を経て驚かされました。

平成パンチとコラボレーション

平凡パンチと仁丹のコラボレーションケース

昭和41年発売の『パンチケース』。 このケース中央には、JINTANのロゴとともにキャラクターのようなマークがありますが、これは当時一世を風靡していた青年誌「平凡パンチ」のロゴマーク。つまり、平凡パンチと仁丹のコラボレーションケースなのです。コットンパンツの尻ポケットに平凡パンチを差し込んで、銀座みゆき通りを闊歩する「みゆき族」は、当時の若者文化を象徴し大ブームを巻き起こしました。 手前みそですが、この『パンチケース』こそが企業コラボレーションの先駆けだったのでは、と自負しています。

一口メモ
仁丹は他にも企業コラボレーションを実現させていました。ちょうど『パンチケース』と同じ頃と思われますが、森下仁丹では「洋酒ガム」というリキュールの香りがするガムを発売していました。このガムには「寿屋」というブランドが入っていました。「寿屋」とは現在のサントリーで、ここでは森下仁丹とサントリーのダブルネームが刻まれたコラボ商品が誕生していたのです。

時代を映すイベントに仁丹ケースの姿

EXPOケース

いわずと知れた1970年(昭和45年)の大阪万博時にちなんだ『EXPOケース』も存在していました。 大阪万博会場内には、仁丹の自動販売機が設置されていました。

オリジナルケース

また、昭和58年にやはり大阪で開催された世界帆船祭にちなんだケースもありました。世界中の帆船が一堂に集うイベントは日本初だったそうです。時代の鏡とも言える大イベントに合わせて多くのオリジナルケースを展開していきました。

コラム
ここまでご紹介したのは、森下仁丹が自社で制作・販売していたケースです。さらにいろいろなケースをご覧になりたい場合は、森下仁丹のホームページ内にある「森下仁丹歴史博物館」の年表をご覧ください。年表内にさまざまな仁丹ケースが登場します。
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しかしながら、かつてはライターやタバコ入れと同じように、『仁丹ケース』が独自で制作され、販売されたりしていました。これらの仁丹ケースには現在も多くの収集家が存在し、インターネットオークションを通じて取引されていたりします。中には、作者の銘が入ったものもあるとか……なんとも奥深い世界です。
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