あの頃は、社内に敵しかいなかった――。駒村はそう入社当時を振り返る。
2003年、駒村は異色のキャリアを経て森下仁丹株式会社にやって来た。慶應義塾大学を卒業後、大手商社に入社。イタリア勤務時代にはM&Aを成し遂げ、現地投資先の社長も経験した。順風満帆のキャリアを過ごし、引退に向けて安定した人生も約束されていた。
しかし、駒村は現状に危機感を覚えた。商社マンとしての成功の陰で、「このままではつまらない人生になってしまう」と感じ始めたのだ。そして、52歳にして突発的に商社を退職してしまう。
「早期退職の意向をメールで送ったときは、エンターキーを押した瞬間に、『やばいことしたな』と思ったものです(笑)。もちろん商社の仕事はやりがいにあふれたもので、30年はがむしゃらに働きました。しかしイタリアでの仕事が一段落したとき、このまま日本に戻って、本社の管理職になり、あとは引退への花道が用意され……という未来が見えてしまった。仕事に目標がなくなってしまったんです。転職先が決まっていたわけではありません。まだまだ自分は一線で働きたいという思いだけで、退職を決めました」
これまでのキャリアを活かすことを考え、外資系企業を中心に就職活動を始めたが、すぐに次の就職先が決まったわけではない。無職の期間もあった。それでも不思議と、不安はなかった。むしろ時間が経つにつれ、「これから、もっと面白いことが待っているとワクワクしてきた」と駒村は言う。
無職となって5か月が過ぎようとしたとき、知り合いからオファーが届いた。経営状況が悪化している大阪の老舗企業が、経営の立て直しの人材を探している、という内容だった。森下仁丹である。
「初めは『なぜ自分に仁丹の会社が?』と思いましたよ。しかしよく考えてみれば、商社時代に社長を務めていた会社は医薬品の原料を製造する会社で、仁丹のビジネスと似ている。私には、そこを黒字転換させてきた経験があります。しかも森下仁丹は赤字にあえいでいるとはいえ、老舗としての圧倒的なブランド力もある。これは自分のキャリアが活かせるかもしれないと思いました」
だが、実際に執行役員として入社してから知った会社の現状は、さらに厳しいものだった。単に赤字が積み重なっているだけでなく、社内から改革へのやる気が失われていたのだ。
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