森下仁丹歴史博物館
森下仁丹
博物館TOPへ 森下仁丹百年物語 広告ギャラリー 仁丹商標 年表
第1章 黎明期
第2章 躍進期
第3章 変革期
第4章 将来の展望
第5章 開発物語

躍進期
世界に雄飛 仁丹体温計の誕生 大恐慌を乗り越えて 戦時下の仁丹
仁丹体温計の誕生
大衆の保健医療への寄与
森下博薬房は1922年(大正11年)森下博営業所と改称。主力商品の仁丹に継ぐ商品として「仁丹体温計」を発売した。

これは、梅毒薬「毒滅」の処方を依頼してからの旧知であった笹川三男三医学博士を社長に、前年設立された赤線検温器株式会社(現・テルモ株式会社)に出資して、販売を引き受けるというもので、森下博は取締役相談役として同社経営にも協力することになった。

第一次世界大戦後、ヨーロッパの体温計、ことにそれまで日本市場を抑えていたドイツ製品の入手が困難になり、医師の間では優秀な国産体温計の必要性を訴える声が強くなっていた。赤線検温器はこの要請に応えて、重鎮・北里柴三郎博士をはじめとする日本医学界の肝煎りで設立されたのだった。設立趣意書には「優良品の製造供給により国民保健の一助とし、且つ国家経済上に実益を挙んことを所期するものなり」とある。

当時、森下博の頭にあったのは、「保健医療」の考えであった。当時の医学の進歩と医師の増加は著しいものがあったが、十分な治療を受けられるのは依然として一部の富裕階級に限られていた。森下博は、体温計の普及によって国民大衆の保健医療に寄与できると考えたのであった。笹川博士の要請に応えて森下は「体温計というものは、われわれは病気のときしか使わないけれども、人間のあるかぎり、また病気というものがあるかぎり必要なものである」と応諾したという。

当初、仁丹の体温計は業界からは「売薬屋の体温計」と揶揄され、販売は思うように伸びなかった。しかし、森下博営業所は品質管理を徹底し、また、全国の著名人8万3千人に直接商品を送りつけて不要な場合は返品してもらうというダイレクトセールスなどを行って次第に業績をあげていった。

また、「健康は口から」という口腔衛生の考えから「仁丹ハミガキ」を発売したのも1922年(大正11年)である。容器にアルミを用いたのは、わが国のアルミ容器の先駆けでもあった。

こうして、総合保健薬の「仁丹」、保健医療の「仁丹体温計」、口腔衛生・口腔保健の「仁丹ハミガキ」が出そろい、多角化・分社経営の基盤ができた森下博営業所は、大衆の保健を広範囲に担う企業へと、大きく前進することになったのである。

※本ページ中の「仁丹」の効能は、現行の製品のものではなく、当社の歴史に基づいて記載しております。
仁丹平型体温計
仁丹平型体温計
(大正15年 2円30銭)

「仁丹ハミガキ」の店頭ポスター
「仁丹ハミガキ」の店頭ポスター

「仁丹ハミガキ」
「仁丹ハミガキ」
(大正14年頃 12銭)

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